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保福院

保福院

住職として寺に住む時に話されたお話。(過去の記録)

管 長 様 の お 言 葉 

現在最も僧侶に求められているのは、
高圧的な態度で布教を行うのではなく

平等の精神で、

ともに汗を流して布教
活動を行う事だと思います。

そのためには徒弟教育に今以上力を
入れるべきではないか、と思います。

葬儀屋墓地に関する問題も近年注目
されておりますが、
              地域差も大きく、
また歴代の伽藍を守り続けてている寺院と

全くそうしたものを持たない、もしくは必要と
しないケースが
         全てひとくくりで論じられるのは
     いかがなものか、と感じています。

そうした時事的問題に対しても、
人々の声や世間の声に真摯に耳を傾けて

、宗派の枠を超えて問題意識を共有して
今後に生かしていく事が肝要と思います。

  ZENBUTSU2010年10月1日 より抜粋








いかに仏教の書物を読んで、
仏教の知恵が身に付いたとしても
、それは単なる知識であって
仏道はそこから起こってこない。


禅の修行はどんどん壁を作ってやるんです。

そこで、ぶつかってUターンせざるお得なくなる、
      そう言うUターンの体験と言う事が大切なんです。

中 略

壁にぶつかって
   猛烈な座禅して
     生きるか死ぬかと言う坂を越えて
        ああ、ここにい生かされていたわわいと、
                 気づかなければいけない。


宗教体験としての回心
と言うものがなかったならば、
真の宗教的な生活は始まらない。






師より、その時々に、
住職に対して根強い不信感を持つ環境に於いて話された事。

役員、檀徒、


法 話
ほうわ ほふ― 0 【法話】
仏法の教義、信仰の在り方、
功徳などを説く話。法談。



し‐そう【師僧】
師である僧。師匠の僧。



ろうし らう― 1 【老師】
年をとった師匠。老年の先生。


しけ 1 【師家】
(1)(一般の禅僧に対して)座禅の指導者としての学徳・
資格を有する禅僧。
(2)「しか(師家)(2)」に同じ。
「我何方を―とも定めず/都鄙問答」



ほんぞん 1 【本尊】
(1)一寺一堂の信仰の中心としてまつられている
仏・菩薩の像や曼荼羅(まんだら)など。
(2)その事柄について中心となる人物。
肝腎(かんじん)の人物。当人。本人。
「御―はそっちのけで、まわりの者だけがやいのやいの言う」


しゅっけ 0 【出家】
(名)スル
〔仏〕 家庭などとの関係を切り、
世俗を離れ、戒を受けて僧になること。
また、その人。
現代では、各宗派の定めにしたがって、
僧としての資格を得ること。僧侶。僧。




本 来坊さんが一番先にすべき事は
家庭の関係を裁ち切り世俗を離れ
修行に一番適した環境に赴き
修行を成し遂げる決意を行動で示す事である。

中 略

坊さんの本来の立場から言えば、
坊さんジタイが財産持つ事はおかしい、
坊さんは檀家の人の日々の施しで
生きて行くのが理想である。

中 略

せっかく一人になれたのにわざわざ結婚する人もいる。
そしてその付けを檀家に回す。

中 略

住職の食べる分は檀家の負担で仕方ないかも知れないが、
家族の生活まで負担しろと言う者もいるようだ。

中略

寺は住職の私物では無い、ましてその住職の縁者
が寺の財産を私物かすることはおかしい。
住職はその事に厳しく対処しなくてはいけない。

中 略

坊さんの大切な、しめい、の一つは
受け継いだ財産をそのままつぎに引き継ぐ。
私はそう思うんです。

中 略

檀家には人質ならぬ墓じちとって、その弱みにつけ込み
色々と無理難題を要求金集め、商売するような
和尚モいるようで、衣のお陰で本性が見えませんが
、取ってしまえば

中 略

そうなると、坊さん、商人、ヤクザ、本当の仕事がわからないんです。

中 略

仏あっての自分であり寺の存続しているのは
今あるは多くの縁者や前任者の方々の徳のかたちそのものです。

中 略

俺が俺がでは坊さんの徳を欠く事になる。

そう言う人ばかりになったら
坊さん本来の仕事、見失ってしまいます。

中 略

お金集めたいなら
坊さん辞めて商人やったらと思うんです。

真面目に修行している坊さんの迷惑ですから。

前 略

僧侶は本来の立場に戻れ、自分の力に応じた生活せよ。

小さな寺が大きな寺と同じような事する必要なし。

信心が財産と思うべし、信心無くさせてどうするのか。

地域や寺の規模にあった布教すべし。

中 略

責任持った生き方してもらいたい。

何も無い自分を自覚すべきである。

中略


◎結婚について
もし結婚するなら財産持っている人と結婚して養って貰え
(理想は、家庭は持たない妻も持たない、子供も持たない)
もし家族がいるならば
自分達の生活費は自分達で稼ぎげ。

中略

家族が坊さんの足を引っ張るような事をしてはいかん。
坊さんが仕事に専念出来るよう協力を。

中略

奥さんに稼いで貰え檀徒を頼るな。

中 略

住職の死後、
家族のしまつを速やかにして後任者に後を譲る事、
住職一代、壇徒代々。

住職の得た収入はすべて寺に入れよ、

中 略

今の坊さんは色々おかしいんです。

坊さん本来黒の衣で十分なのです。

一般の僧侶が行う
一般の葬儀に色衣は必要ないんです。

中略

本来のカタチニもどすべきと思います。

一般の坊さんに高い法階は不要です。

中略

自分の分と言うものをわからない者が増えてきているようです。
規則をかえなければ自分たちでは

中略

本来葬儀と告別とは別なんです。

それを今いっしょにしてしまう。

お通夜と言うものは本来坊さんは出なかった。

ところが近年は、葬儀屋さんが全部仕組みまして、
坊さんをお通夜に引っ張り出す。

中略

私は お経読んでも十五分、
後は「お焼香に来た人の目の届く位置に焼香中、
故人の好きな曲流させて頂いておりますと、
ハッキリ書いておけばよい。」

そして故人が好きな曲でも流してお焼香せよと、言ってやっている。
坊さんなどいない方が(坊さんに気を使わず)よっぽどよい通夜ができる。

中略

今のように葬儀屋さんが、
何分間お経読んで、なんていって、はいはい、
と言ってやっている坊さん自身が

もう少し見識を持って毅然として、
自分が葬式坊主と言われないよう
努力しなければいけないんじゃあないかと私は思う。

中 略

仏教てすばらしいんです。

そしてその昔の祖師方、そう言う坊さんの
行履と言いますがその生活を伺うと本当に素晴らしいなあと思う。

皆さんも仏教に対しては、尊敬の念を持っていらっしゃるでしょうが、
坊さんに対しては帰依の心が薄いと言えるだろうと思うんです。

中 略

どうか皆さんお亡くなりになったら
坊さんを使わないようにしていただきたい。

お葬式で坊さんが食えなくなったら、
初めて自分は何したらいいんだろうかと。

中 略

今、葬式で食えるから葬式やっているんです。

葬式で食えなくなったら、初めて坊さんは
私の仕事なんだろうとうかと反省して、
仏教が蘇るんじゃないかと思うんです。

中 略

布施の事とやかく言うな稼ぐ身になれ。

中 略

パートのおばさんが一時間八百円だよ。
坊さん、三十分もお経読みはせんだろう。
四百円でもいいんじゃないの、と。

中 略

私の親しい人が、和尚さん、
お礼はどのくらいしたらいいでしょう、とおっしゃる。

尊敬できないない坊さんに対しては、
あなた方は時間給で払ってくださったらいいと思う。

一時間お経を読んだら八百円でいい。

技術料を加えてもせいぜい
千円から二千円ぐらいですませて、
文句言われたら、ああ和尚さん、
わし、あんたのところ檀家やめますわ、と言えばいいんです。


そしたら坊さんに仕事なくなるから、
ほんとうに自分の生き方を考えてくるんじゃなかろうか、
とこう思う。

坊さんは今とにかくおかしくなっていますけれど、
仏教素晴らしいことには変わりがない。

仏教経典というものは、
もう読み尽くせないほどたくさんあります。

そして、その素晴らしい仏教を
方便でもって説く宗派というのも、又限りなくあるわけです。

ところがこの仏教の根幹というか、大本、
それが何であるかということは非常に今、把握しにくいんです。

中 略

仏教とは素晴らしい教えなんですけれども、
あまりにも大きく広がって、色々な教典とか、

宗派で説かれていますから、かえって全体像が掴みにくくなっているんです。

中 略

宗教体験としての回心と言うものがなかったならば、
真の宗教的な生活は始まらない。

いかに仏教の書物を読んで、仏教の知恵が身に付いたとしても
、それは単なる知識であって仏道はそこから起こってこない。

仏法を行ずると言う事は、生まれてこない。

回心とはいったいどう言う事か、

今の言葉でわかりやすく申しましたならば、Uターンすると言う事です。
これはいったいどう言う事か、
いっぺん壁にぶつかって、どうにもならない壁にぶつかって、
初めて回心と言う事ができるんです。

すんなり前に進めたら、いつまでたってもUターンは必要ない。

中 略

禅の修行はどんどん壁を作ってやるんです。

そこで、ぶつかってUターンせざるお得なくなる、
そう言うUターンの体験と言う事が大切なんです。

中 略

壁にぶつかって猛烈な座禅して生きるか死ぬかと言う坂を越えて
ああ、ここにい生かされていたわわいと、気づかなければいけない。

中 略

Uターンと言う事申しましたけれども、私たちは、
自分で生きている、俺が生きている。

こういう考えばかり持っているんです。

中 略

従来の日本人は、日常生活で「辞儀」をふんだんに用いていた。

じぎ 0 1 【辞宜/辞儀】(名)スル
〔「時宜(じぎ)」から出た語〕

(1)頭を下げて礼をすること。「美濃屋様は大事の出入場(でいりば)、
御主人ばかりに―するが分にあらず/門三味線(緑雨)」
〔現代では多く「おじぎ」の形で用いられる〕

(2)遠慮。辞退。
「互に―有て、先へ出たる者先へ行く/狂言・腹不立」
お辞儀をする」と言うと、頭を下げる事のように受け取るが
言葉が伴わないと辞儀とは言えない。



あいさつ 1 【▼挨▼拶】(名)スル[一]
(1)人と人とが出会ったときや、
別れるときに交わす儀礼的な動作や言葉。
また、その言葉を述べること。

相手に敬意・親愛の意を示す行為で、
対人関係を円満にし、社会生活を円滑にする。
「初対面の人と―する」「時候の―」「―を返す」

(2)公の席や舞台などで、
大勢の人に向かって祝いやお礼などの気持ちを述べる言葉。
「披露宴で―する」「就任の―」

(3)受け答え。応対。返答。
「手紙をやったのに何の―もない」
「あのようにけんもほろろでは―のしようもない」

(4)儀礼的な通知。「―状」

(5)(「御挨拶」の形で)あきれた言いざま。
→ごあいさつ

(6)「仕返し」をいう不良仲間の隠語。
「あとで―に行くからな」
[二]

(1)禅宗で、門下の僧と問答をして悟りの程度を知ること。
(2)二人の仲。交際。関係。

「二郎兵衛殿とおきさ殿―見ればうら山しうて堪らぬ/浄瑠璃・今宮心中(中)」

(3)仲介。仲裁。調停。また、その人。

「さう見受ましたから―に這入りました/歌舞伎・お染久松色読販」
〔「挨」も「拶」も押すことで、押し合う意から。
もと禅宗用語で、[二](1)が原義〕
――切・る
関係を絶つ。縁が切れる。
「今は―・れた上/浄瑠璃・重井筒(中)」
朝一番に、神棚に拍手を打ち、

仏壇にご飯を供え、
茶を献じて「おかげさま」とお辞儀を怠る事の無かった

日本人の日常生活の素晴らしさ。

敗戦後の日本は、経済的な復興はめざましいものがあったが
心の世界は逆に荒廃した。

日本人の心の復興は、まず日常の辞儀の回復から。

「おはようございます、いただきます、ごちそうさま、
行ってまいります、ただいま帰りました、おやすみなさい、
すみません、ごめんなさい、ありがとうございました。」
身近なところから始めよう。

中 略

家庭の理想は厳父慈母が好ましい。
私たちの世代までは、祖父や父は厳しいもの、怖いものだった。
どの家庭でも祖父や父に対する尊崇の念が子供心に植え付けられていた。
それを育てたのものは日常生活の中での母親の態度といえる。

父親の厳しさ、威厳を子供の心に植え付けるのは、
実に母親の大切な役目です。

母親こそが家族の水先案内人であり、司令塔なのです。

中 略

過去の世界の歴史を照らして見るに、その民族の言葉を制限し、
取り上げられた国は喪失している。

国語は国家の重要な柱であり、骨格である。

小学生から英語教育を、と右往左往する
若い母親も多く見られるが憂慮に耐えない。

国語問題をなおざりにして、早期の英語教育などは論外である。

新聞や雑誌は漢字を存分に使用し、ルビを多用して、
日本の伝統を守る砦となって欲しいものである。

中 略

本 来
坊さんが一番先にすべき事は
家庭の関係を裁ち切り世俗を離れ
修行に一番適した環境に赴き
修行を成し遂げる決意を行動で示す事である。

たとえて言うなら、小さな寺の弟子となり、ある程度すると、
住職になる資格が取れる、
見識ある師匠の場合、帰らんでよい、しっかり修行せよと、
あらたな修行出来る機会、縁をつくって下さる。

帰る場所無ければ、寺との縁切れ、しっかり修行に身が入る。

又修行途中、迷いの縁に遭遇し大寺に入る事や、
子供ができ結婚する事の選択にせまられた時、

見識ある人々であれば、
修行のじゃまはせず、後の事は気にせず、
迷い断ち切りしっかり修行せよと、
あらたに修行出来る機会、つくって下さる。

帰る場所無ければ、寺との家族と縁切れ、しっかり修行に身が入る。

中 略

坊さんの本来の立場から言えば、
坊さんジタイが財産持つ事はおかしい、
坊さんは檀家の人の日々の施しで
生きて行くのが理想である。

中 略

せっかく一人になれたのにわざわざ結婚する人もいる。
そしてその付けを檀家に回す。

中 略

住職の食べる分は檀家の負担で仕方ないかも知れないが、
家族の生活まで負担しろと言う者もいるようだ。
寺は住職の私物では無い、
ましてその住職の縁者が寺の財産を私物かすることはおかしい。

住職はその事に厳しく対処しなくてはいけない。
 
中 略

坊さんの大切な、しめい、の一つは
受け継いだ財産をそのままつぎに引き継ぐ。

私はそう思うんです。

中 略

檀家には人質ならぬ墓じちとって、その弱みにつけ込み
色々と檀家に無理難題を要求私的な為に金集め、
商売するような和尚もいるようで、

衣のお陰で本性が見えませんが
、取ってしまえば

中 略

そうなると、その人は、坊さん、商人、ヤクザ、
本当の仕事がわからないんです。

中 略

仏あっての自分であり
寺の存続しているのは
今あるは多くの縁者や前任者の
方々の地道な行動の積み重ね、徳のかたちそのものです。

中 略

俺が俺がでは
坊さんの徳を欠く事になる。

そう言う人ばかりになったら
坊さん本来の仕事、見失ってしまいます。

中 略

お金集めたいなら
坊さん辞めて商人やったらと思うんです。

真面目に修行している坊さんの迷惑ですから。

 中 略

僧侶は本来の立場に戻れ、自分の力に応じた生活せよ。

小さな寺が大きな寺と同じような事する必要なし。

信心が財産と思うべし、信心無くさせてどうするのか。

地域や寺の規模にあった布教すべし。

今の坊さん
衣の価値、色の意味本当に理解しているのか、
法階も又おかしな事になっている。

本来の一般住職の座原職が、はるか低くなり。

中略

昔の坊さんからすれば、
恥ずかしさと、自分の分を欠如しているんじゃないかと思う。

生活にあわない、ブランド追っかける連中と同じじゃ。

それを注意する者もおらん。

黒の衣の意味をしっかり理解してもらいたいものだ。

禅宗坊さんは禅宗らしい歴史を失って欲しくない。

中 略

しっかり修行も出来ていないのに、
九官鳥では有るまいし、彩り鮮やかに、
袈裟、衣つけ
長々と、同じお経をただ、繰り返し読んでいるだけではいかん。

中 略

かたちだけの坊さん
それが禅宗坊さんではあまりにも寂しい
中身無い自分を恥じ、自分を見つめなおして生活して欲しい。

中 略

本来からかけはなれた現状を、
不自然とか、違和感とか感じてもらいたい。

中 略

最低三年
僧堂でしっかり修行しなければ、住職させない。

そうならなければおかしい又そのようになってもらいたい。

檀徒が寺離れすると嘆く末寺の和尚がいるようだが、
住職じたいが教義の根本道場大事にしなければ
道場は衰退してゆく

(中略)

自分の弟子を本山僧堂に修行にださない。

中 略

本当に(本山僧堂で)修行した者がその修行結果に応じて、
それなりの寺に住む価値が有る。
中 略

しっかり修行した者がそれに応じて入る寺が無いのはおかしい、

中 略

色々改革が必要である。

中 略

しっかりとした修行もせず
教義を理解せず
そう言う坊さんばかり増えてはこまる

中 略
人を惑わすような坊さんではしょうがない。

中 略

私はそう思うんです。


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